2012年3月11日日曜日

2011年3月11日から1年

ずっと書こう書こうと思っていて1年が経ってしまいました。
この1年、様々な問題や情報に右往左往し、
頭を悩ませてきたように思います。
総まとめ仕様にも色々ありすぎて1年の総まとめなど無理でした。もっと細かくつけておけば良かった。

一応、うわべだけでもサッとなぞって綴ろうと思います。
個人の体験の記録であり、問題提起でもあります。





2011.3.11を境にすっかり日本は変わってしまいました。
まさか30年間生きていて、日本の中で広範囲の土地が放射能に汚染されるなど想像すらしませんでした。
小学生の頃、ゲームボーイでエニックスのSAGAというゲームが流行りました。塔を登り、神を倒すというゲームなのですが、その塔の各階にはそれぞれの世界が広がっていました。神を倒す手前の、塔の階の中でも上部に位置し、敵もハードになる都市世界は、「げんぱつ」という建造物が何かを象徴しているような廃墟の世界でした。子供心に、朽ち果てた街と何もない土地にそびえ立つ鉄塔を見て「こんな世界に絶対住みたくない」などと、嫌な気持ちになった事をよく覚えています。



福島の原発事故を経てそのゲームが現実のものとなりました。
政府が発表しただけでも福島第一原発から半径20km以内は
今後、僕が子供の頃に体験したSAGAが表現した廃墟の世界へと月日を経て変わります。

現実に日本で原発事故が起こるなんて、今でも実感するのは難しいです。
その「実感するのが難しい」のが、放射能の最悪にして最大の特徴です。人間の体を見えない光で貫き、DNAの鎖を切断するという生命の根本を揺るがす物質。貫かれても痛くも痒くもありません。ただ細胞が死ぬだけです。

放射能が体にどういう作用をするのか直接わかる事例としてはJCOの臨海事故です。大量に被曝されたその方は全身の細胞が破壊され、新陳代謝で再生するはずの細胞が再生することなく体が崩壊して83日でなくなりました。最初は見た目は平気でも、細胞が生まれ変われなくなるのです。

しかしこれは極端な話ではあります。そして僕らがそうなるかというと、なりません。それは放射線の量の問題です。JCOの事故は16~20シーベルトを浴びた「急性被曝」です。僕は東京の世田谷に住んでいて、外部線量が約1.0μSV/hです。20シーベルト浴びるには2283年かかります。

しかし、現在僕らは過去に比べて3倍の放射線を慢性的に受ける「慢性被曝」をしている状態です。しかもよくテレビで流れているのはレントゲンや飛行機で受ける外部被曝の参考値のみを話題にしますが、僕らは放射能を吸って食べています。その場から去れば受けなくなる外部被曝でなく、体の中から24時間被曝している状態です。被曝の研究ではもちろん1SVなど急性症状が出るような程度でない放射線の強さで仮定して、急性被曝よりも慢性的な低線量被曝の方が細胞を壊すスピードが早いという結果が出ています(ビデオニュース 藍原寛子医師談)。

一般的な考えとして例えば大きな体の損傷を考える際に用いられる指標が「閾値」です。例えば骨が折れるのは、少しずつ折れるわけでなく、極端な力がかかることによって骨が「耐え切れなく」折れます。この「折れる」と「折れない」境目が「閾値」です。

では、どの程度まで大丈夫なのか。年に1mSVなのか10mSVなのか、それは国際原子力機関のIACA他、様々な立場の研究者からも明確な結論は出ていません。運が悪ければもっと低い数値でも大きな病気になる可能性はあるようです。ただしこれも交通事故やその他のリスクと比べてどうなのでしょうか。放射能の影響で白血病、ガン、心臓病の患者が増加するというのはチェルノブイリ事故の様々な統計でわかっている「らしい」のですが、因果関係やその他様々なバイアスがかかった資料であったり、よくわかりません。

だから放射能に対する病気の閾値というものは設定されていません。閥値があるのかどうかも意見が二分しています。ただ、病気認定する以前に体の不調が出る、いわゆる「原爆ブラブラ病」というどの病気にもカテゴリー的に当てはまらない症状を、当時広島に原爆が落ちた時から医師であった肥田舜太郎 氏は目撃していたようです。でも、実際に日本でどのような問題が出るかはわかりません。

この「わからない」という話を受けて、それをどう考えるべきかが重要です。危険か危険じゃないかわからないなら「危険側に判断をし、予防原則的な行動をする」事が理性のある人間としてとるべき行動ではないでしょうか。1950年代よりチッソの工場が流した水銀で水俣病が起こり、それを社会が認めずに来たために被害が拡大し、解決に至らず今日まできています。

「もっと早く危険ということがわかっていれば。」と言っても時すでに遅しです。国
は賠償を絶対に認めません。そんな話はすぐそこに転がってあるわけです。


「食べて応援」や「警戒区域への子供の帰村」が本当に正しいのか、もう一度よく考えるべきです。その行為は子供の将来を蔑ろにしていないと胸を張って言えるならいいです。リスクは無いと、断言できるならいいです。

でも、もしかしたら5年後10年後に取り返しのつかない病に冒されるかもしれないというリスクを、片目をつぶりながら仕方なく取りつつ3.11以前の生活に戻すのは、国として、大人としてどうなのでしょうか。もし、子供は関東や東北だけじゃない、関西も九州にもたくさんいる。もし東北や関東の子供が病に冒されても、代わりはいくらでもいるという考えなら、もう仕方ないです。というか、もうそのように国は進んでいるかのように見えます。福島産の米の予備調査で500bq/kgの基準値超えが出ていたのに、本調査ではOKなど、普通に考えてそんな事ありえないでしょう。牛乳ももちろん混ぜて薄めています。そもそも測ってすらいません。基準値以下だから問題ないし、どうせ微量でしょ?と考えたいところですが、そもそもこの基準値も高過ぎます。


下記を読めば大体わかるはずです。
http://kingo999.web.fc2.com/kizyun.html

http://kingo999.web.fc2.com/index.html


そうやって日本の歯車は進むなら、もう仕方のない事なのかもしれません。しかし、その事実を多くの国民はそれに同意したのでしょうか?そもそも、そうしたリスクが存在すること自体知らないのではないでしょうか。


これから僕らがやるべき事は、世の中で起こっている事を学び
常識とされていた物事を問い直す事です。

例えば、国は国民の税金を使って「プルトニウムは飲んでも平気」という驚きのビデオを作ってみたり、原発は安全ということにしたい国が事故後これまた税金を大量に投入して東京電力関係企業にネット上で反原発の監視事業をさせる。東京電力は事故の危機的状態をひたすら隠し続けて事態を悪化させるなど、知らないところで本当に様々な政治的工作が現実に行われていました。そんな体質を僕らはこの事故が起こるまで知りませんでした。

僕はそのような「オトナの都合」で市民が犠牲になる瞬間を実際に自分の身を持って体験しました。3.15の朝、皆が学校や会社へおそらく到着したであろう前後に関東を高濃度の放射能プルームが襲いました。驚くほど高い数値の放射能を帯びた空気が僕らの周りを通過していったのです。僕はそれを様々な情報や風向きを見て察知して、回避しました。家の中でネットを見ながら東京の放射線量が鳥肌の立つくらい上昇したのを今でも鮮明に覚えています。あの時ほど命の危険を感じた瞬間はありませんでした。


今見つけた3月15日に何が起きたかの断片がわかります。
調べればもっとわかりやすいページも出てくるでしょう。
http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/home/11.3.25tokyomienaikumo.pdf

国からはその時何の警報も出ませんでした。警報が出たのは過ぎ去った後です。そしてどれだけの人が警報が出たことを知っているのでしょうか。今でも3.15にプルームが通った事を知らない人は多いのではないでしょうか。
放射能の問題を隠蔽し、過小評価してきたこの国のあり方を僕は見てきました。

僕は社会学者の宮台真司さんが言う「任せて文句を垂れる社会から、引き受けて考える社会へ」「空気に縛られる社会から知識を尊重する社会へ」この考え方を僕らは実践していく事が大事だと考えています。

例えばグリーンアクティブという団体は、そのように市民がグループワークに参加することで知識を身につけて、本当に正しいと思える判断をしていくという取り組みを始めています。

グリーンアクティブHP
http://green-active.jp/


3.11を境に、僕らの世界は変わりました。黙っていては命の危険を伴う問題が横たわっています。今までと同じようには生きていけないなら、自分たちで対策しなければいけない。だから僕はこの1年様々な講演会に足を運んで勉強しています。少しでも正しい判断をするために。

0 件のコメント:

コメントを投稿