2006年12月26日火曜日

JB(JAMES BROWN)が逝ってしまった

JBの音楽が部屋を包む。今日は彼を追悼しよう。酒と共に祈ろうではないか。

僕は中学3年生・高校1年生の頃から1960~70年代のイギリス・アメリカの音楽に深く傾倒してきた。
僕の大好きな60~70年代の音楽は、黒人の作り上げたbluesを軸にrock'n rollやfunkと進化を遂げていく重要な時代だった。

black musicの歴史は、ハウリンウルフやマディーウォーターズといった泥臭いbluesが、チャックベリーの生み出すrock'n rollへ、片やオーティスレディングはbluesからsoulを導き、JAMES BROWNはそのsoulをファンクへと昇華させた。その後スライ&ザ ファミリーストーンがfunkをより過激なものにするが、JAMES BROWNは間違い無く、既存のsoulを暴力的に、過激に、刺激的に、スライがそれをやる以前の、funkと呼ばれるリズムの基を確立した張本人である。
故に今のレッチリやレイジが居るのは彼が居たからこそだ。

僕が好きになった音楽というのはそういった、現在のポップ、ロックミュージックの基礎だ。

そして、その頃活躍した人間は既にそれ相当の年齢に達してしまった。

僕が好きな音楽家の死を初めてリアルタイムで実感したのは多分高校3年生の頃、ジェフベックグループ・レインボー等を渡り歩いた孤高のドラマー、コージーパウエルの自動車事故死だ。ラジオでその悲報を聴き、思わず友達に電話をかけた事を思い出す。彼のソロ、セカンドアルバムのダートムーアはいつ聞いても心を打つ名演だ。

その後、大学時代にTHE WHOのジョンエントウィッスルが麻薬による心臓発作で死亡した。
彼の死は今まで受けた事の無い悲しみで、僕が感じたWHOの音楽は彼が変態的なベースを引き倒すのとは裏腹に、とてつもない音楽に対する優しさと愛を感じていたからである。
音楽の良心だと思っていた彼が逝った事は、THE WHOが大好きであった僕には相当なショックだった。

その後社会人になり、レイチャールズが逝った。
彼は最後の最後にとてつもない名盤を残した。
今でもとても高い確率でそのCDをかける。
誰に勧めても間違いの無いアルバムだ。

そして今日はJB。
彼はクリスマスに召された。暴力的で性的で、激しい音楽に身を投じた彼も、今日は優しく神に包まれたのであろう。

これからも惜しい人をどんどん失っていくだろう。

しかし、彼らから受け継いだsoulは僕の体の中で永遠に不滅だ。それは誰にも消す事はできない強烈な記憶と感情である。
僕らはその記憶を永遠に受け継いで、そして自分と同化させていく。
そして、島国に生まれた小さい自分には何が出来るだろう?

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