2006年5月29日月曜日

ジョグジャカルタの大地震


僕らは2001年9月11日。いわゆる9.11事件が起きた時、インドネシアのジョグジャカルタに滞在していました。
国際政治学者の私のゼミ教授がバーから僕の友人らと興奮ながら戻りながら「テレビを付けろ」と。どうやらイスラムがアメリカの中心を攻撃したと。
その時はまだどんな状況なのか映像は入って来なく、女のキャスターがひたすら英語で喋る画面しかわかりませんでした。

駄目学生だった僕は、政治学の名の下にゼミで主催するゼミ旅行という国際勉強&旅行の催しに便乗して、かの地に降り立っていました。

ジョグジャカルタでは、宗教寺院であるボロブドゥールとプランバナンを観光し、ホテルで夜遅くまでビールを片手に皆と語り合い、そんな時間を過ごしていたと思います。
しかし、その頃僕はその旅行に主体性を持って参加していたのでしょうか。多分無いであろう、細かいディテールは既に多くを忘れ去っています。そこで何を得たのか?
今それを思い出そうとしても断片と断片の映像ばかりでとても悔しい。

ただ、とても鮮明に覚えているのは、皆プランバナンへ向かう為のチャーターバスを、僕は一人で町の大衆バスで向かった時の事です。
そのバスは黄色で塗装もハゲてしまっていて座席もボロボロ。
当然夏でもクーラーなんて利かない、社内はだんだん通学の女学生や近所のおばさんやおじさんで溢れかえり、後ろの乗車口には一人バスの乗組員が客が落ちないように、乗り口(ドアは無い開けっ放し)から外に半分身を乗り出しながらお客の安全を確保しているようなバスでした。

しかしそんな光景はここでは当たり前だし、僕も随分そんな事はむしろ歓迎している人の中の一人でした。窓から見える光景は基礎を木で組んだ簡単な家々が、壮大な田園風景の中に点在し、おかあさんが洗濯物をしているような日常の光景が目にどんどん入ってくる。太陽とバスの切る風が非常に心地よく、いくらバスが満員だろうがクーラーが無かろうが、そこは日本人の僕から見て幸せな光景でした。
体の大きい僕がちょっと当たった隣の女学生がはにかみ、遺跡に行きたいと行った僕におじさんが任せとけと僕に合図する。

そんな素敵な光景や日常や、人々が今、たった一瞬で多くの物を失ったのだ。僕が行ったホテルの周辺も、プランバナンの遺跡も、そしてバスで出会った遺跡近くに乗り合わせた人々も。

僕らはその場所に土足で踏み込んで、ただ良い景色、素敵な笑顔の人々、壮大な寺院を満喫し、満足して帰ってきて今ここでのうのうと生きているのか?

人は何の為に生きているんだろうと。自我って一体何の為にあるのか。そして自分とは違う他者の自我とは、僕の自我とどう違うのか?一体どんな事を考えながら生きているのだろうと。
大自然や地球の上で僕ら人間、しかもその一人一人が集まったところで、その一人一人に何ができるというのか?こんなちっぽけ過ぎる存在の者が何かを考えたところで、それが何なのだ。なのにこの自我は一体何なのだと。こんなに簡単に死んでしまうのに、こんな複雑に考えさせる自我ってなんなのだ?
今亡くなっていったインドネシアの人々は一体何を想いながら日々を生きていたのか。死ぬ時に何を思い死んでいったのか。

僕自身の力だけで何も成す事はできないけれど、自分に関わりのあった人間の、存在の、何かを受け取った事への想いに対して、僕はいつかどこかで報いなければならないと思います。
何の為に生きるかはやはりわからないけれど、少なくとも今の時点での僕ができる事、思う事は、

恩は必ず返す。という事だけです。

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