2005年5月26日木曜日

Donny Hathaway


黒人の中で僕が最も好きなアーティストです。
70年代を駆け抜けたブラックコンテンポラリーの先駆けみたいな存在なのですが、僕の持ち運びCDケースの中には必ず「LIVE」が入っています。

圧倒的な優しさに満ちた歌声と彼の奏でるオルガン。バックミュージシャンは後にスタッフやEW&Fのメンバーとなる凄腕のメンバーで、聴いているとついつい自分の中のディープな世界に入ってしまします。

彼は79年にホテルから飛び降り自殺をして生涯を閉じてしまうのですが、これ程愛について歌った彼が、キャロルキングの「君は友達」の名演を残した彼が、何故誰にも救われること無く一人で旅立ってしまったのか。彼は一人何を抱えてその行為に至ったのか。

先日友人は、会社の後輩が同社就職後、研修中に自殺をした話をしていて、何故だろうと頭を悩ませていたのですが、僕はその時あまり良い答えが出なく、漠然と相談できる友達が居ないのでは?と答えただけなのですが

ある授業で人間には(生きる事、仕事についての)三段階の評価があると。最大の評価は自分の成した仕事に対しての賛美。二番目は、結果以前のその仕事に取り組んだ行動そのものに対しての評価。三番目の最も低いとされるのが、あなたがそこに居るという存在についての確認。例えば髪切ったね、とか今日は元気だね、とか。

街の青色のテントに住んでいる人はどうして皆の見える前で寝るのか。それは自身の存在を皆に見て欲しいと思う欲求からで、人間にとっての第三番目の評価を得るためらしい。
しかしながら三番目の人間の存在さえも確認されない事態になると人間の心は簡単に壊れてしまうらしい。マザーテレサが愛情の反対は無関心と話した事がありますが、漠然としていますが、何かわかる気がします。

自殺の理由については色々とあるとは思いますが、僕はそれをする本人の自覚として、自分は他の人に理解されない。理解したくない。人とは違う、誰も助けてくれない。私は孤独だと思う事からくるのかな、と。三番目の評価をくじかれた、または拒否した結果かなと思ったりします。

その友人曰く、それをしてしまった後輩は、特に変な子でなくいい子だったと言っていました。

つくづく思う事ですが、自分の正直な姿をみせて生きる事は精神的にとても強靭な耐性が要る気がします(僕の場合は)。
やはり人は自分の弱さを隠すために全く正反対の行動をとり、それを見せないようにしているのかなと。

正直に生きるのが良いか、虚勢を張って生きるのが良いか僕にはわかりませんが、少なくとも「君は友達」と呼べる相手が居ないと人の心は脆く、はかないものだと思います。

だから愛の歌を歌うのかな。

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