2007年2月4日日曜日

フセイン絞首刑と誇り


情報の伝え方というのは様々な角度から切り取る事により、多種多様な解釈と結果を生む事に繋がる。
しかしながら今日はとても悲しい気持ちになった。

テレビやインターネットの中で先日のフセイン元大統領の絞首刑のニュースを受け、それについての情報が駆け巡って以来、
初めて先ほど某巨大掲示板のサイトを覗いて愕然とした。
大多数の書き込みがフセインを罵倒し、死して当然との言葉を羅列する。


これから記述する事実を彼らはどう受け止めるのだろうか。

年末の時点で米兵が3000人、イラク人5万人もの死者。
国内避難民は160万人、国外への避難民は180万人である。

これほどの甚大な犠牲者を出した原因はジョージ ブッシュの唱える、イラクの湾岸戦争後の大量破壊兵器の保有違反と、9.11の再来と温床を防ぐとし、それをかくまうイラクを侵攻すると決断した為だ。

開戦から4年。結局、大量破壊兵器は発見されず、9.11を指揮したアルカイダとイラクの関係性も見出せなかった。共通点があるとすれば、それはアルカイダとイラクはイスラム信仰という事だ。

国連決議を待たずして単独でのイラク侵攻による国際社会の反応、そして暫定政府樹立から統治の失敗を予想できず、泥沼化していくイラクへの見通しの甘さ。得たものは何であろう?
欲しかった石油が手に入った事か?

結局イラク内の3大勢力を強権政治で押さえ込み、すべからく統治させていた唯一の大統領を引きずり出し、公開処刑で殺害した成れの果てがこの内乱と死者だ。


フセインはアメリカの帝国主義的かつ傲慢な欲望と浅はかな計略による犠牲者の一人である。

アメリカが開戦して喜んだのは誰であろう?
誰もいない?
いやアメリカの軍需産業か。

可哀想なフセイン。暴力のレッテルを貼られたイスラム教徒。
敬虔なイスラム教徒は1日5回、神に自分が生かされている事への感謝の気持ちを捧げるのである。そして祈る前には体を清める為に水で体を流してまでだ。僕もインドネシアでモスクにてイスラム教信者と同じように祈ったが、彼らの目としぐさには「本当」の神への感謝が現れていた事を今でも鮮明に思い出す。
その崇高な信仰がアメリカにはわからないのだろうか?
力と暴力に支配されたイラクを見て何を思うのだろうか?

それでも某掲示板に書き込む彼らは軽薄な言葉を吐き続けるのだろうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿