2006年4月24日月曜日

サクラチル

久々に暴走特急をやってしまいました。

会社を飛び出し、新幹線で京都に向かい、告白して振られました。

一年越しの片思いだったけど、素敵な恋心と前に進む勇気を得られ

た事はこの先の道に通じる大きな力を得られたと思います。

とっても悲しいけどね。三条鴨川きれいだったなぁ。バイバイ

また会う日まで

新居の音楽生活は

非常に快適です。
音を立てる事への脅迫感がほとんど無くなった今、数年ぶりに自宅で気兼ねなく練習を再開したところです。

考えてみると音楽の腕って、音を気にせず練習した(無理やり)高校時代の最後が一番上達していたように思います。
いい音はいい腕を育てる。まずヘッドホンや小さい音じゃあヤル気が起きません。本物の音とかけ離れすぎてるから。

話は変わって、心地よい音やそうでない音、気分を軽くしたり重くしたりする音というのは、奏でる音の響きがどのようなものであるか、という事。
その、人の心を揺さぶる、感情を沸き起こらせる音は、人間が生まれてから今までの周りの生活での音の記憶遡り、思い出させる事である気がします。
例えば悲鳴をあげる音は危機感を。笑う声は楽しさを。水の流れる音は安らぎを。愛の言葉は切ない感情を。

全ては生きていく上で、生活の中にある音が基本になっているよう思います。

僕はその生きる中での心に訴える様々な音を、伝えたい音楽のどこにどう乗せて表現するか。これは音を奏でるものにとっては当たり前の事なんだけど、すごく重要な、そして一筋縄ではいかない、されど表現しなければならないものの一つです。

僕は人に心を伝えるのが下手糞だから、楽器に本当の心を託し奏でていきます。